むかし北陸一帯は「越の国」と呼ばれており、「越前」とは現在の福井県北部にあたります。この福井県丹生郡(にゅうぐん)の宮崎村と織田(おた)町一帯の丘陵地帯が越前焼のふるさとです。丹生山地には、窯の燃料となる雑木林と良質の粘土が豊富にあり、奈良時代から灰釉(*)陶器を焼いていた猿投(さなげ)窯をルーツに、越前焼は日用雑器の窯として発達しました。
 また、瀬戸・丹波・常滑・信楽・備前とともに、中世から続く代表的な窯として称される「六古窯(ろくこよう)」のひとつとしても知られています。
* 灰釉(かいゆう)・・・植物の灰を主原料とした釉薬のこと。
 
 
 
   
 
   越前焼の土は、耐火温度の高い良質の白色粘土でガラス質を多く含む為、同じガラス質である釉薬がのりにくいという性質を持っています。また土に含まれるガラス質が、1200度以上の高温焼成によって溶けて素地中のすきまを埋め、より堅く焼締まることから、越前焼は無釉の「焼締め」が基本となります。還元炎焼成(*)によって茶褐色の地肌が生まれ、その上を美しく流れる緑色の自然釉は、窯の燃料である薪の灰が焼成中に降りかかって溶けたものです。
 また大物づくりに適した腰の強い土でもあり、円盤状に作った底土の上に、直径6センチ程のひも状にした粘土を、ロクロを使わずに陶工が周囲を回りながら積み上げていくという「ねじ立て技法」によってかめや壺が作られます。
* 還元炎焼成・・・窯中の酸素量を減らし、二酸化炭素が多い不完全燃焼の状態で焼成すること。
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

中世の越前焼
 平安時代にはかめ、壺、すり鉢のほぼ3種に限定して作られますが、平安時代末期から鎌倉時代にかけては、火葬の普及に合わせて骨壺(*)を作り、他にも写経を納めた経筒を入れる為のかめなど宗教色の強いものを多く焼いています。農業では二毛作が普及して肥瓶や種壺の需要が生まれ、また生産の拡大に伴い穀物貯蔵用としても使われます。このように、越前焼は人々の日常生活に密着したやきものを作ることで、北陸最大の窯場に成長していきます。
 室町時代後期には、それまで燃料の木材を求めて丘陵地をあちこち移動していた窯が、織田町平良(たいら)に集まって飛躍的に生産を伸ばし、越前焼は最盛期を迎えます。窯が一ヶ所に集中したことで粘土・燃料の運搬用道路が整備され、成形・焼成・窯出し等における共同作業の管理体制も整えられました。こうして作られた越前焼は日本海の海上交通に乗り、北は北海道から南は島根県まで、日本海沿岸の広い地域で使われました。
・すり鉢・・・壺が焚き口に近い窯の前方で焼かれるのに対し、すり鉢は窯の後方に入れて焼かれた為、ほとんど薪の灰が掛かることなく、自然釉がついているものは稀で、乾いた灰白色か茶褐色をしています。
・大がめ・・・「ねじ立て技法」によって作られる代表的なもので、かめの開口部の形状は鎌倉時代には折り返し、室町時代になると簡素化されて上面が平らになります。
・壺 ・・・室町時代までに作られた壺は、茶褐色の地肌に透明感のある緑色の自然釉がかかっているのが特徴です。肩や胴の部分に「十」や「|||」などの刻文が付けられているものも多く見られます。
・おはぐろ壺・・・お歯黒(*)に使う鉄漿(かね)を入れる為の高さ12センチ前後の小壺で、油壺や骨壺としても使われました。江戸時代中期までは大型のやきものと同様に「ねじ立て技法」で作られ、小型ながらも力強いものが多く見られます。過剰な装飾がなく花映りが良いため、茶室の花入れとしても重宝されました。
*骨壺・・・火葬にした骨を納めるための壺で、骨壺は土に埋めて供養されました。
*お歯黒・・・歯を黒く染めること。はっきりとした目的は分かりませんが、一般的に、貴族の成人女性の身だしなみとして奈良時代から行われはじめ、その後男性貴族や民間にも流行し、武家の男子も行うようになります。この習慣は明治に入るまで続きました。

近世からの越前焼
 桃山時代以降の近世においては、徳利や茶入れなど50種類以上のやきものが作られるようになり、施釉方法においても、鉄釉や藁灰釉などを組合せた釉薬の二重掛けや掛け分けを行うなど多様化します。また、高温焼成を必要としない「赤べと」と呼ばれる鉄分の多い土が表面に塗られるようになり、燃料の消費量は軽減しましたが、中世の越前焼にみられる茶褐色の地肌と緑色の自然釉のコントラストによる魅力は失われます。江戸時代中期に入ると、他の産地の施釉陶器や色絵磁器に押され、越前焼は次第に衰退していきます。瀬戸や信楽、九谷などの先進地から陶工を招いて高級陶磁器を作成する窯もありましたが、いずれも成功には至りませんでした。さらに第二次世界大戦後には、生活様式が変化してかめや壺の需要がなくなり、越前焼は風前の灯火となります。
 しかし、越前の窯元達は中世からの伝統を守り続け、昭和45年、福井県が宮崎村に「越前陶芸村」を建設したことでやきもの作りの環境が整備され、越前焼は息を吹き返します。現在、福井県下には陶芸村を中心に約70の窯元を数えるまでになり、伝統的な越前焼はもちろん、現代の生活にあった多種多様なやきものから、新しい自由な雰囲気に溢れた作品まで幅広く作られています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
   越前地方は、冬には日本海岸の厳しい寒さで豪雪地帯となりますが、美しい山や川など豊かな自然に恵まれ、今でも多くの伝統工芸が息づいている土地でもあります。約1500年もの歴史を持つ越前和紙や越前漆器をはじめ、越前打刃物、桐や唐木等を使用した木工・家具など様々で、そのどれもが伝統を大切にしながらも、現代の人々の日常生活に溶け込み親しまれています。
 越前は、多種多様なものづくりに出会うことができる一大工芸産地といえるでしょう。
 
 
   
 
   毎年5月の最終土・日・月曜日の3日間、「越前陶芸村」を中心に開催されます。陶器市では50以上の窯元が軒を連ね、他にも花火大会や茶会、郷土芸能など様々なイベントが併催され、たくさんの人で賑います。  
 
   
 
  宮崎村観光協会ホームページはこちら
http://www.miyazakimura.com
 
 
     


 

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